ベルカ民主自由党

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ベルカ民主自由党(Belkan Liberal Democratic Party[1])はベルカ連邦時代末期に存在したベルカの極右政党である。

歴史

1991年8月、五大湖資源開発公社の採算割れ隠蔽工作が発覚し、この報を受けて当時最大野党だった「祖国労働者党」の支持者による抗議運動が発生した。これはACE COMBAT 5 公式サイトの記述であるが、その資料(ユークトバニア中央党機関紙)は続けて「政権交代が起これば急進右派の祖国労働者党がこの(オーシアとの協力を目指す)方針を撤回することは確実であり」と記述しており、祖国労働者党がベルカを戦争に導いた政党、つまりACE COMBAT ZERO以降で言うところのベルカ民主自由党であることを示唆している。

1992年2月24日[2](資料によっては1991年11月12日[3])に選挙でベルカ民主自由党が単独過半数の議席を獲得し与党となった。ベルカ民主自由党政権は前政権とは一変してオーシアとの対立姿勢を強め、国民の支持を背景に独裁性を強めていった。

三権分立は事実上消失し、ウスティオに莫大な天然資源が発見されると政権支配下の最高裁判所はウスティオ含む東部諸国の独立を無効としたため、1995年に政権はそれを大義名分に周辺国へ侵攻しベルカ戦争を引き起こした。

登場作品

出典

  1. 英語版ACES at WARS : A HISTORY 2019 p140
  2. ACES at WAR : A HISTORY 2019 p.140
  3. エースコンバット5 ジ・アンサング・ウォー パーフェクトガイド p248 - 249