サンサルバシオン・レジスタンス

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この記事のタイトルは正式名称ではありません。
正式名称が不明のため、記事名は独自の仮のタイトルが使われています。
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サンサルバシオン・レジスタンス大陸戦争時にサンサルバシオンにおけるエルジアの支配に抵抗した勢力である

歴史

形成と活動

2003年夏にエルジアがサンサルバシオン侵攻・占領後、サンサルバシオンはガソリンは配給制となり、通信は制限、夜間外出禁止令と停電が義務付けられた。さらに地元の警官に変わり、エルジア軍憲兵が配置され、学校で習う言語も変わった。

少なくとも2004年頃にはサンサルバシオン市民はレジスタンス組織を形成し、エルジア軍の情報収集や妨害工作を行っていた。

2005年4月2日、レジスタンスはエルジア空軍黄色中隊が駐留する滑走路に爆弾を仕掛け、滑走路と予備機材を破壊し、黄色の4が負傷し、さらに黄色の4のSu-37も損傷した。これが原因で同日に独立国家連合軍(ISAF)が実施したストーンクラッシャー作戦への対応が遅れストーンヘンジが破壊され、さらに黄色の4も失った。

解放

ISAFによる首都サンサルバシオン解放作戦「ファイアフライ作戦」を前にレジスタンスは爆撃誘導用レーザー発振器を仕掛ける工作を行った。

7月10日午前0時、レジスタンスはエルジア軍の灯火管制を解除し、それを合図にISAF部隊がサンサルバシオン市内へ突入を開始。レジスタンスもISAFと共同でエルジア軍への攻撃を行った。エルジア軍降伏後にレジスタンスはISAF陸軍部隊と共にサンサルバシオン市内に残っていたエルジア軍兵士の検挙を行い、朝には街の通りはレジスタンスメンバーとサンサルバシオン市民が溢れ、「USEA National Anthem -Hymn of Liberty-」を歌い、解放されたことを喜んだ。

なおファイアフライ作戦時にはレジスタンスは左袖にISAFの紋章が書かれた青地の腕章を身に付けていた。

小ネタ

  • モデルは第2次世界大戦時にドイツ占領下フランスで活動したフランスのレジスタンス組織。劇中のカットシーンとほぼ同じ構図の写真が存在する。

登場作品