ベルカ連邦法改正

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この戦争は1988年のベルカ連邦法見直しに端を発する
ブレット・トンプソン、ドキュメンタリー番組「ベルカ戦争の真実」にて[1]

ベルカ連邦法改正は1987年12月17日又は 1988年にベルカ連邦政府がベルカ連邦法を改定した出来事である[2]

背景

1980年代、冷戦が発生しオーシアユークトバニアの間で弾道ミサイルの開発やその迎撃技術が飛躍的に発展していった。一方ベルカもオーシア戦争以降、オーシア連邦と軍拡と領土拡張を競い、弾道ミサイル防衛(BMD)構想の遂行や、核兵器や新型戦闘機の開発計画「ペンドラゴン計画」などの軍事計画を推進していった。しかし領土拡大に伴う軍事費に耐えられなくなり、経済の停滞を招いていった。

法改正とその後

1987年12月17日 又は 1988年、ベルカ連邦政府は連邦法を改正した。連邦を構成する東部諸国からベルカ駐留軍は撤退し、政治権限の多くを東部諸国の政府に移譲した。これを受けて東部諸国に独立の機運が発生した。1988年2月8日には東部のゲベートが独立し、同年5月12日に南東部のウスティオが独立した[2]

しかしなお経済危機はなおも収まる気配はなく、1991年8月16日にはベルカ政府はオーシアとの協調路線によって自国経済の建て直しを図った五大湖資源開発公社採算割れ隠蔽工作が発覚。それに伴う反オーシア運動が高まり、1992年2月24日に極右政党「ベルカ民主自由党」の政権を掌握。1995年にはウスティオに地下資源の存在が発覚後、司法の独立性が失われていたベルカ連邦最高裁判所は連邦法改正は外国の干渉により違憲であり、東部諸国の独立は無効であるとする判決を下した。これを大義名分としベルカ軍は周辺諸国に宣戦布告し、ベルカ戦争が勃発した。

登場作品

出典